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番外編 5の敵の扱いについて考えてみる

なぜか最近はまってしまったプリキュアシリーズについてだらだら書いてみようかと思っています。

2024/0112345678910111213141516171819202122232425262728292024/03

以前、某動画のプリキュア5系の動画めぐっていたら、まあ、ああいう動画サイトの常ですが妙なアンチコメント遭遇することも多々ありますw元気があって良いことだw

さて、普段はそのままNG垢にぶち込むわけですが、アンチコメの中で気になるものがありました。
「プリキュア5は殺害している」
えっ?なにを今更?というか他のプリキュアシリーズも一緒じゃね?と正直、思った次第。

まあ、確かにアンチさんの言うことにも一理ある。プリキュアシンドロームという本でPやSDの方も話してたけど、やっつけたようには見せたくないと話されていましたし。どこかのガンダムの台詞じゃありませんが、子供に殺し合いなんか見みせないほうがいいですし。その点、確かによろしくない。これは確実。

ん?それってプリキュア5だけの事情か?と思い、ちょっと色々調べてみると、アンチさんの言い分だとこうらしい
・フレプリ以降のプリキュアは浄化しているから、殺害ではない。あーフレプリって浄化が何とか言ってたような。
・SS以前だと敵を倒すと闇に帰ったり、正しい形に戻ったりする描写だから問題なしらしい。

とのこと。なんか言い訳みたいな感じがしてなりませんがwまあ、それでも理由はつくらしい。
(そもそも子供云々言い出したら、殴る蹴るはどうなのだろうか?という疑問もありますが)
まあ、そういう理由というか言い訳を用意していなかったプリキュア5に批判があってしかるべきでしょう。

あれ?でも、問題のプリキュア5のスタッフって、問題がなかったSSと同じだったような?
調べてみるとPもSDはまんまですね。脚本さんはSSで途中から引き継いだ成田さんが5シリーズ継続みたいです。
同じスタッフのSSでは問題なかったけど、プリキュア5シリーズでは問題発生。はて、スタッフになにが起きたのか?見逃したまま進んだのか。でも二年やったプリキュア5シリーズ。批判があれば遅くてもGOGOから変えられたはずです。でも、変えなかった。
と言うことは、ああいう描写にした理由がそれなりにあるのでは?と考えるのが自然です。
ということで、今回はメタな視点で、なんであんな描写になってしまったのか勝手にグダグダ考えてみようかと。
相変わらず頓珍漢なこと書くでしょうがw

長くなりましたが本文に移ります。ですが、今回書くことは、

愉快じゃない。ちょっと過激なこと。読んでいて気分が悪くなる。なんか自分の好きな作品が批判された。という気持ちになるかもしれないこと書きます。
ちなみにネタばれ全開で書きます。
ですので、それが嫌な方はご遠慮ください。


了解された方は↓からお入りください



一応、もう一回。上の文を読んでから、お進みください





では、始めます。まあ、そんな大したこと書くつもりないですし、第一書けませんがw
てきとーにだらだら書いてみます

まあ、まずはシンドロームにも書かれていたことですね
★勧善懲悪もの
脚本さんによれば、プリキュアシリーズは基本これだったらしい。
ですから、ふたりは~3作品もプリキュア2作品も基本は同じらしいと言うこと。
やり方次第では、敵の扱いが変わったんでしょうかね?

で、次からが私の勝手な解釈w



★プリキュアは人の持つ正と負の鬩ぎ合いの物語だからではないか?
他のプリキュア作品は基本的に違う世界の侵略者という感じですが、プリキュア5の敵は一貫して、人の負の面を表現した敵だと思う。このあたり詳しい説明がないのって、5シリーズぐらいじゃないかしら。

ナイトメアやダークたちは人の持つ暗部
エターナルやムシバーンは人の持つ欲望
そして人が持つ勇気や希望、優しさや愛の具現化であるプリキュア
それら人の正と負の面の戦いを描こうとしたのがプリキュア5だったのではないか?

ナイトメアやエターナルは会社や美術館?まあ、人間の組織っぽく描かれている。故に彼らを人間と同じに捉え、それを倒すプリキュア5に嫌悪感を覚える人もいるだろう。

ただ私はちょっと違って、人間の組織みたいな形で描いているのは、彼ら=人間の負の面は遠い別世界等の存在ではなく、我ら一般大衆が誰でも持っている面だと言うことを強調したかったからこそ、あえて人間にとって親近感を持つ組織として描いたのではないか?と思っていたり。


異世界の存在・謎の国家・敵性宇宙人、なんでもいいですが、彼らが人間とは違う存在、もしくは一般的現実世界とは違う人々ならそれは一種、我ら人間と対等な関係と言え、だからこそ対立もしくは融和を描くことも可能でしょう。なぜなら住む世界が違うだけで、同じ人同士なのですから。

ですが、人の暗部や欲望の擬人化として描かれた敵とした場合、それは人間のもつ感情と感情の対立という図式になります。
ナイトメアに敗れることは、すなわち人の心の希望が同じく人の心にある絶望に敗れるいうこと。
ダークたちに敗れることは、自分自身に敗れるということ。
エターナルやムシバーンに敗れることは、他者を侵害しても満たしたい欲望を肯定してしまうこと。
だからこそ、人間の善性を代表するプリキュア達は全力で戦い、人間の暗部を代表する敵を倒す。

そういった人の内部の葛藤の代理戦争みたいなのを描きたかったのがプリキュア5シリーズなのではないのかなと。
だから敵はネチネチ嫌味と堕落を言ってくるし、逆にプリキュアたちはそれは違う!と毎度の口論を繰り返すw
そして人間を全肯定する以上その暗部は絶対超えなくちゃならない敵であり、だからこそ、ああいう容赦がない展開になったのではないか?
そして逆に人としての暗部ではなく、人の持つ弱さを出したデスパライアやダークドリームだったからこそ、和解が成立したのではないか?


★ストーリーの問題
フレッシュプリキュアにキュアパッションと言う方がいらっしゃいます。せっちゃんです。
元々は敵の幹部でしたが、フレッシュプリキュアと接するうちに心変わりし、ついに和解しますが寿命を変更されて死亡。でもプリプー様とアカルンの力で復活。キュアパッションに生まれ変わります。
フレッシュプリキュアを代表するエピソードであり、このエピソードこそフレプリ最高の名場面と推す方も多いのではないでしょうか?
ただ、こういった敵からの味方と和解するエピソードはフレプリだけではなく、それこそ初代ふたりはプリキュアのキリヤ君、ふたりはプリキュアS☆Sの満・薫、スイートプリキュアのセイレーンとそれなりにシリーズではよくある類のエピソードと言えるでしょう。そしてどのエピソードも人気が高いのではないでしょうか?

敵として出会い、心を通じ合わせ、そして絆が生まれる。まさに感動的です。
そのまま戦い続ければ彼ら彼女らはプリキュアに倒されるか、ラスボスあたりに制裁される運命しかなかったでしょう。実際、ふたプリシリーズはそれに近い展開です。その運命をプリキュア達との出会いが打破する。
まさに『救済と言う名の奇跡』です。



ですが、プリキュア5シリーズは基本的にその種の奇跡を描きませんでした。
強いて言うなら、シロップやのぞみの呼び掛けに応じて、呪い?を解除したGOGOの47話とお菓子の国ぐらいでしょう。ただ、あれ自体は5GOGOのテーマである「思いを応える」であり、一概に奇跡ともいえないとは思いますが。
ようやく和解したデスパライアもダークドリームも、そしてようやく何かを理解したムシバーンも寿命が来たフローラさんにも救済がありませんでした。
ですから無論、分かり合う事はなかった敵にも当然、救済がありませんでした。

なぜか救済と言う名の奇跡がなかったのか?プリキュア5のストーリーを見れば分かります。
ドリームコレットという奇跡を起こすアイテムを巡って戦ったプリキュアとナイトメア。
その結果、その奇跡を行使したのはナイトメアであった。デスパライアは不老不死になり、もはや絶望しか5ファミリーには残されてはいなかった。
だが、5人はそれまでに夢を追い、成長し、未来へ進む力を手に入れていました。ココとナッツもプリキュア達と一緒に成長し、国民が生きていたことを知り、コレットを頼らずに王国を復活させることを決意した。

誰一人、奇跡の力を頼らずに未来へ進んだプリキュア5。個人的にはプリキュア5は人としての成長と人同士の繋がりのみで戦い抜いたプリキュア作品と思っております。つまりは奇跡の否定という成分が根底に流れているのではないか?

奇跡に頼らない作風がある以上、奇跡が起こす救済もありえない。
分かり合えたかもしれない人々との悲劇にも奇跡は起きなかった。ですから当然、敵として対することしかなかったキャラにも奇跡は起きない。続編も奇跡に頼らなかったプリキュアたちである以上、それに準じた物語となる。
奇跡に対する姿勢が5シリーズの敵の扱いに影響を与えているのではないか?と考えてみる。


まあ、厳密に言えば、プリキュア5だってまったく奇跡がないわけじゃないんですけどねwそもそもプリキュアの存在が奇跡と言ってもいいしwそしてもちろん他のプリキュア作品が奇跡に頼っている、と言うわけではないのであしからず
でも、個人的には奇跡のウェイトが低い作品ってイメージがある。プリキュアという枠に拘らずともね。

無論、そこを曲げてプリキュア達には常に奇跡を起こして欲しいと思うのも人情です。その気持ちは十分に理解できます。
でも、ここから先は視聴者の哲学に類する問題だと思う。プリキュアという名を冠した作品になにを求めるのか、なにがプリキュアらしいのか。
その結果、各々の視聴者の哲学的に合わない作品が出るのは仕方がないことでしょう。



★戦いを描く以上…
とりあえずこんなとこかしら。まあ、なんにしても子供に殺し合いを見せるのには疑問が残ることは確実。
この点、プリキュアシリーズは色々配慮すべきなのでしょう。

でも、あくまで個人的な意見ですが、戦い、すなわち暴力と暴力のぶつかりを描いてしまっている以上、言い方はよくないかもしれませんが、ほんの少しでも『死の匂い』が漂わないのはいくら子供向けとは言え、微妙に違うとは思うんですよね。
ふたりはプリキュアが成功したのでこれだけ長く続いたシリーズです。キック!パンチ!で頑張る女の子が当時の女の子に受けたのでしょう。
だからこそ、パンチをしたら相手を傷つける。相手にキックしたら自分もキックされるかも。という怖さも必要かなと。まあ、訓話としての意味も持たした方がいいのでは?ということです。

昔、セーラームーンというプリキュアの大先輩に当たるアニメがありました。
これの一期のラストの戦い。主人公たるセーラー戦士が全滅するというすごい展開が起き、見ていた女の子達はとてもショックを受けたらしく、中には熱出して休んでしまうような子まで出してしまったようです。
この事件は女の子達がどれだけセーラー戦士に感情移入してたかが分かるエピソードであり、そしてその人が死ぬと言うのはどれだけの痛みか、ということを理解していたと言うことです。
あそこまでする必要があったのか否か、そこは微妙かも知れませんがwただ、死の怖さみたいなものは伝わったのではないかと思います。こういう怖さを知るって生活していく上で結構、重要なのではないかとは思う。

そういう怖さも少しは匂わすような必要もあるのでは?と個人的。
少なくともこういう匂いはバトルヒロイン物でしか出せないですし、いまやそれの代名詞であるプリキュアシリーズにしか出せない匂いの一つではあるでしょうしね。
まあ、あくまで私個人の勝手な考えです。


しかし、子供向けアニメって作るのは色々考えるんでしょうね。
スタッフの方達は大変でしょう。



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