「大いそがし!真琴のアイドルな日々!」
女優さんがアナコンディさんの生まれ変わり!さすがに違うかw
今回の感想はちょっと気になるところを容赦なく書いてみました。相変わらず短いですがw
女優さんがアナコンディさんの生まれ変わり!さすがに違うかw
今回の感想はちょっと気になるところを容赦なく書いてみました。相変わらず短いですがw
★イメージとは違う&ドキプリが足りないところ
うーん、ちょっと今回は全体的にいい話なんですけど、ちょっと首をかしげる展開が二箇所
まずはまこぴーが台本の予習を行ってこなかったということ。
夜も王女様を一人で探していたのが原因。仕方がないといえば仕方がないんですが、でもそれにしても真琴らしくない、と思うのは私だけでしょうかね?
5話で仕事前に突入してきたマナにあれだけの剣幕で怒った真琴です。路上からトップクラスのアイドルまで地道に上がってきた真琴です。
彼女の性格的にも、その仕事ぶりからも、こういう事前に必要なことがおろそかになるのは何か真琴のイメージに合わない。
ま、それだけ王女のことになると我を忘れるとも解釈できますがw
で、もう一箇所はレジーナさんの能力。
誰でもジコチューにしてしまうと言うトンデモ能力ですが、これって自己中な心の具現化ではなく、ただの怪物化にするということですよね。このあたり微妙に釈然としませんね。作品と言うかメタ的な視点で
そもそもこのドキドキプリキュア。私は好きなんですが、ちょっとジコチューの扱いに疑問がある。自己中心的な心に付け込まれて怪物となる。ここは問題ないんですが、プリキュアたちがそのジコチューとなる心と接する機会がほとんどないのである。唯一といえるのがマナの弟子になろうとしたジュン君の回ぐらいである。あと親衛隊回w
彼らがどうして自己中心的な心を発生させてしまうのか?そのあたりに対するプリキュアたちのリアクションがない。何しろ彼女達の見ず知らずのところで発生してしまうことがいつものパターンである。だから、プリキュアたちが人間の善性を訴えかけるシーンがない。プリキュア説教wがほとんどない、戦闘シーンがただの戦闘シーンで終わることがほとんどなのである。
ここを描いていないのに、さらにレジーナの問答無用にジコチューにする能力が登場するわけです。この能力がいつまで使われるか分かりません。が、こんな能力まで出てきたら、余計に人の善性を説く機会もなくなるだけではなく、戦闘がただの戦闘に終始すれば、プリキュア活動を通して少女達が成長する側面すら失われかねない。愛と言うドキプリのテーマを描くのにプリキュアと言う要素すら必要なくなる恐れすらある。
このあたり激しく心配である。ま、中盤山場で何かやるんでしょうけど。でも、常に描いていかないと説得力なくなる恐れががが。
どうなることやら
しかし、それとは別に人を問答無用にジコチューにしてしまうレジーナの能力は意味があるのかもしれないですね。
ツイッターでもつぶやきましたが
問答無用で人助けを行うマナ
問答無用で人をジコチューにするレジーナ
やってることは対極だけど、似ている二人
そんなものを描きたいのかもしれない。
続く
うーん、ちょっと今回は全体的にいい話なんですけど、ちょっと首をかしげる展開が二箇所
まずはまこぴーが台本の予習を行ってこなかったということ。
夜も王女様を一人で探していたのが原因。仕方がないといえば仕方がないんですが、でもそれにしても真琴らしくない、と思うのは私だけでしょうかね?
5話で仕事前に突入してきたマナにあれだけの剣幕で怒った真琴です。路上からトップクラスのアイドルまで地道に上がってきた真琴です。
彼女の性格的にも、その仕事ぶりからも、こういう事前に必要なことがおろそかになるのは何か真琴のイメージに合わない。
ま、それだけ王女のことになると我を忘れるとも解釈できますがw
で、もう一箇所はレジーナさんの能力。
誰でもジコチューにしてしまうと言うトンデモ能力ですが、これって自己中な心の具現化ではなく、ただの怪物化にするということですよね。このあたり微妙に釈然としませんね。作品と言うかメタ的な視点で
そもそもこのドキドキプリキュア。私は好きなんですが、ちょっとジコチューの扱いに疑問がある。自己中心的な心に付け込まれて怪物となる。ここは問題ないんですが、プリキュアたちがそのジコチューとなる心と接する機会がほとんどないのである。唯一といえるのがマナの弟子になろうとしたジュン君の回ぐらいである。あと親衛隊回w
彼らがどうして自己中心的な心を発生させてしまうのか?そのあたりに対するプリキュアたちのリアクションがない。何しろ彼女達の見ず知らずのところで発生してしまうことがいつものパターンである。だから、プリキュアたちが人間の善性を訴えかけるシーンがない。プリキュア説教wがほとんどない、戦闘シーンがただの戦闘シーンで終わることがほとんどなのである。
ここを描いていないのに、さらにレジーナの問答無用にジコチューにする能力が登場するわけです。この能力がいつまで使われるか分かりません。が、こんな能力まで出てきたら、余計に人の善性を説く機会もなくなるだけではなく、戦闘がただの戦闘に終始すれば、プリキュア活動を通して少女達が成長する側面すら失われかねない。愛と言うドキプリのテーマを描くのにプリキュアと言う要素すら必要なくなる恐れすらある。
このあたり激しく心配である。ま、中盤山場で何かやるんでしょうけど。でも、常に描いていかないと説得力なくなる恐れががが。
どうなることやら
しかし、それとは別に人を問答無用にジコチューにしてしまうレジーナの能力は意味があるのかもしれないですね。
ツイッターでもつぶやきましたが
問答無用で人助けを行うマナ
問答無用で人をジコチューにするレジーナ
やってることは対極だけど、似ている二人
そんなものを描きたいのかもしれない。
続く
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この記事へのコメント
もう飽きたか…
2013/06/28(金) 01:33 | URL | #-[ 編集]
> もう飽きたか…
コメントありがとうございます
いえ、プリキュア熱は高まる一方で、今はドキプリのほかにスイートプリキュアを見ている最中です。
ただ、最近はこちらよりもツイッターのほうに直接、感想を書く事が多くなってしまっているため、こちらは放置状態になってしまっています。申し訳ありません。
いずれ他のシリーズや現行作品の感想もまとめてブログのほうに書くかもしれません。
コメントありがとうございます
いえ、プリキュア熱は高まる一方で、今はドキプリのほかにスイートプリキュアを見ている最中です。
ただ、最近はこちらよりもツイッターのほうに直接、感想を書く事が多くなってしまっているため、こちらは放置状態になってしまっています。申し訳ありません。
いずれ他のシリーズや現行作品の感想もまとめてブログのほうに書くかもしれません。
2013/06/29(土) 16:55 | URL | 梅サワー #-[ 編集]
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2015/04/09(木) 20:22 | | #[ 編集]
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